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東京家庭裁判所 昭和41年(家)5383号 審判 1967年4月19日

申立人 市川政則(仮名)

利害関係人 斉藤オシゲ(仮名)

主文

申立人の本件申立を却下する。

理由

一、申立の要旨

申立人の祖先は徳川時代延宝七年より天保五年に至る一五六年間市川の氏を名乗り、東京芝の魚籃寺の過去帳にも記載されているが、市川勝重の代に江戸より四国の松山に移り、その子市川政信に至り、市川政信の子政康は、父市川政信の死後、その氏を市川から斉藤に改姓した。

ところが、斉藤政康はその氏を改めるに際し、父の氏まで斉藤と改姓したために斉藤政康の戸籍中父の欄が斉藤政信と記載されるに至つた。市川政信は通称を兵衛または秀斉と号し、郷土史にもその名を遺すほどの人物であるにかかわらず、その死後勝手に改姓されたことはまことに不都合で、斉藤政康の三男政芳は之を是正して市川姓を復姓している。しかし斉藤政信の戸籍は市川とその姓を改められていないので、愛媛県松山市大字○○町四番地、戸主斉藤政康の除籍簿中、父斉藤政信を市川政信に訂正を求める。

二、当裁判所の判断

(一)  本件記録中の戸籍謄本一三通を精査すると、申立人主張の関係者の身分関係は次のとおりで、その戸籍は(1)斉藤政康(2)政康の長男政介(3)愛媛県温泉郡大字○○町二番、政介の長男吉政(明治二〇年三月三一日家督相続)(4)松山市○○町四番地、吉政の祖父政康(明治三五年六月一二日家督相続)(5)同番地政康長男政介(明治三五年六月一六日家督相続)(6)同番地、政介の養子勝政(政康三男政芳の二男勝政政介の養子となり明治四二年一〇月九日家督相続)の順に編成されていること、政芳は明治九年八月一四日分籍により戸主となり、申立人は政芳の三男であること、利害関係人斉藤オシゲは勝政の妻であることが認められ、右資料によれば、明治初年に調整されたとみられる(1)の戸籍は滅失のため遡ることはできないため、申立人が戸籍訂正を求める戸籍は前述(4)以下の除籍にかかることと、斉藤政芳は明治三〇年七月一九日願により復姓し市川と改姓していることが認められる。

(二)  申立人は前述(4)の戸籍戸主斉藤政康の記載中父欄斉藤政信の氏を市川と訂正を求めるが、このような過去の戸籍、殊に明治三一年戸籍法以前の戸籍に関連する事項については申立人に何の利害関係もないから戸籍訂正申立は許されないのではないかとの疑問もあるけれども、人がその血統を誇り、祖先の名を重んずる感情は、わが国では未だ全面的にこれを無視できないものがあるから、一概に利益がなく主張自体理由がないとはいい得ないので、申立人主張の戸籍に何らかの遺漏錯誤があるかどうかについて判断する。

前記資料によると、関連戸籍中、父母欄の父の氏の記載は右(4)の戸籍に至つてはじめて記載されていることが認められる。そこでまず、如何なる経緯で右父母欄が記載されるに至つたかを考えてみると、(4)の戸籍は、わが国戸籍制度の沿革に照し、明治三一年旧民法の施行に伴なつて制定された戸籍法(明治三一年法律第一二〇号)戸籍法取扱手続(同年司法省令五号)によつて従来の戸籍制度が改められ、身分関係に関する詳細な記載をなすに至つたいわゆる明治三一年式戸籍によつて調製されたため、従前の戸籍と異なり父母欄に父の氏名が記載されるに至つたものであると認められる。

次に前述(2)の戸籍中、祖父政康の戸籍中には政信長男と記載されているのに前述(4)の戸籍には、父欄の氏として市川でなく、斉藤と記載されるに至つた経緯を考えると、明治三一年戸籍は身分登録制度としての戸籍制度を整備したが、戸籍の記載は従来の戸籍の記載を踏襲して調製されたものであるところ、明治以来、氏については、同戸異姓を許さないとの原則があり、家族の氏は戸主の氏を称すべく、家の氏が由緒正しき姓と違つた場合は戸籍訂正によらず復姓願によるべきものとされた(明治九年六月一日新潟県伺に対する内務省指令参照)。この原則は明治三一年式戸籍に引きつがれていたために、明治初年に登録されたと推認される斉藤政康から前述(2)(3)の戸籍へ引きつがれ、更にこれを引きついで調整されたとみられる(4)の戸籍中、戸主の父欄が市川でなく、斉藤と記載されたことは、けだし、当然の帰結であつたものと推認できる。もつとも、斉藤政康がその明治初年戸籍に登録されて後に市川を斉藤と改姓した場合は父欄の氏が異なる場合はあり得るが、この事実を認めることのできる証拠は一つもない。したがつて申立人主張の戸籍の記載自体については何らの遺漏、記載錯誤は見当らない。

(三)  以上の如く、(4)の戸籍が調整される際に斉藤政康が勝手に市川政信の氏を斉藤と称したためにこのような記載がなされたのではなく、(4)の戸籍は当時の戸籍編成の原理に従つて調整されたに過ぎないものと認められるから申立人の主張の理由なきことは明らかといわねばならない。加うるに、申立人の父は前述復姓の方法により先祖の由緒深き姓を回復しているので申立人の感情利益は充たされているとみるべく、また一方同一祖先の戸籍に利害を有する利害関係人は、その祖先の戸籍訂正に反対の意を表明しているので、このような利害関係人の感情も無視すべきではないし、以上、いずれの理由によつても、申立人の本件申立は理由がないものと判断される。

よつて申立人の本件申立は失当としてこれを却下し、主文のとおり、審判する。

(家事審判官 野田愛子)

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